作家:URAKAWA Kohei――“唯一”へのこだわり
こんにちは!広報担当の河野です。
株式会社もずくとおはぎ 代表取締役CEO・浦川 航平には、もう一つの顔があります。
それは、一輪の花を人に見立てた作品を生み出す芸術家。
今回は、「ichirin」の作家・URAKAWA Koheiについてご紹介します。
家具デザイナーから、芸術家へ
「ichirin」が誕生するまで
浦川は、1976年 長崎県佐世保市生まれ。
「他人は他人、自分は自分」という教えのもと育ち、幼い頃から“唯一に際立つこと”が、自然と自分の中に根付きました。
大学卒業後からクリエイティブを学び始め、家具メーカーへ就職。
デザインに関わる部署を希望していたものの、営業職に従事。
図面作成やインテリアコーディネートなど、幅広い経験を積んだ後、2006年に家具デザイナーとして独立を果たします。
その後、家具メッセ静岡やTokyoDesignWeekに参加。
プロダクトデザイン年鑑にも掲載されるなど、事業が順調に軌道に乗ってきた最中、2008年にリーマンショックが訪れ、その波に飲み込まれます。
大きな失望を味わい、その後の10年間は、「創りたい」と「創れない」の狭間でもがく日々。
そんな浦川が再び手を動かし始めたのが、2016年。
独立からちょうど10年が経った節目の年でした。
「好きなものを好き放題つくろう。どうせやるなら、世に出したい。」
そう思い立ち、考え続けること3か月。
家具ではなく、もっと小さくて身近な“何か”を――
と模索していたとき、ふと思い出したのが、千利休と豊臣秀吉の「一輪の朝顔」の逸話でした。
ある日、秀吉が利休の茶室庭園に朝顔が満開なのを聞きつけ、その鑑賞を目的に一服しに行く旨伝え、数日後に訪問。
ところが、庭の朝顔は全て摘み取られている。秀吉が立腹し茶室に怒鳴り込んで入室すると、床の間には一輪の朝顔が生けられていた。
利休は言った、「これから天下統一を目論む貴方が多勢に興味を持ってどうする。この朝顔のように際立った存在にならなければ」と。
※諸説あり
そこから生まれたのが、一輪挿し=「ichirin」でした。
JCAT NY(※)との出会い
当初は“芸術作品”ではなく、“プロダクト”として世に出すつもりだった「ichirin」。
コンセプトから丁寧につくり上げ、完成した一輪挿しを「ただ掲載するのは面白くない」と、花を活け、蕾から朽ち果てるまでを定点スチール撮影し、Instagramで発信を開始しました。

すると、一通のDMが届きます。
ニューヨークを拠点に活動するアーティストチーム・JCAT NYからでした。
「これまで見たことのない作品です。ぜひNYで展示しませんか?」
この誘いをきっかけに、“プロダクト”として取り組んでいた浦川の創作は、一気に“芸術作品”へと進化していきました。
※Japanese Contemporary Art Team New York
一輪に映す“個”の美学
「ichirin」は、一輪の花を人に見立て、個の際立ちと生き死に、栄枯盛衰を表現しています。
華やかに咲き誇る花もあれば、蕾のまま散っていく花もある。
そのどれもが儚く、確かに美しい。
「どうにでもなる人生ならば、誰かを羨む事も妬む事も、目指す事すら止め、誰にも左右されず、独自の基準でモノゴトを捉え、普遍的な指標にする事が人生を豊かにする。」
浦川の人生において追うべき姿は、自分自身の理想像なのです。
制作の裏側――右脳と左脳の間で
ichirinの作品は、一輪の花の蕾から朽ち果てるまでを定点スチール撮影し、一つひとつにキャプション(作品名と解説)が添えられます。

「花を撮影しているとき、誰かとの関係や記憶を思い出す。
蕾から朽ち果てるまでの姿を、人付き合いに重ねながら、言葉を探している。
右脳と左脳を行ったり来たりしてる感じ。」
その言葉がなかなか作品にハマらない時に一番苦しさを感じます。
作品が静かに、心の奥へ沁み込むように語りかけてくるのは、その一言一言が、葛藤の中で磨かれた言葉だからかもしれません。
次の10年へ――“自分たちの手で”
2023年、株式会社もずくとおはぎが5人体制になり、ichirinは“浦川一人のライフワーク”から“5人で拡大していく事業”へと変わりました。
浦川がこれまでで一番印象に残っていることは、
「個展の来場者の気持ちの揺らぎを目の当たりにしたこと」だと言います。
佐世保、福岡、銀座での個展をはじめ、パリ、ベトナム、ドバイ、そしてニューヨークへ。
活動は国内外問わず広がりつつあります。
「これまでの時間は、“今をやるための準備期間”だった気がする。
できることなら、もっと時間を費やしたい。」
10年後の自分について、浦川はこう語っています。
「海外での活動が増え、多様な感覚を持つ人たちと関わっていきたい」
浦川の将来的な目標は
- 佐世保で芸術祭を開催すること
- 芸術を事業として確立し、自分たちの手で道を切り拓くこと
その言葉には、芸術家としての理想と、経営者としての覚悟が共存し、もずくとおはぎがこれから歩む未来の礎となっています。
